Cheap chic!~日々本能のまま~

「生活は簡素に理想は高く」をモットーに、毎日楽しく生きています。基本的に亀更新です。
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  [ 「チャレンジド」初回感想(長文注意)。 ]
2009-10-10(Sat) 23:59:13
アメリカだけでなく日本でもそういった粋な呼び方をしてみてもイイんじゃないかと思いました、NHK連ドラ「チャレンジド」。

アメリカでは障害をお持ちの方を、チャレンジする使命を与えられたヒトとして「チャレンジド」と称するんですってよ。うーん、すごく前向き。偏見とか、偏見に対するそのまた偏見だとか、偏見に対する偏見のまたまた偏見だとか、言わば何処か歪んだ見解を薄めて、悪循環から為す連鎖反応を崩し去ってしまうくらいの強い勢いを放つ言葉ですね、「チャレンジド」。お蔭様で健康でいられる私達だって皆、自分のチカラで健常を維持出来ているワケでなし、だからこそ余計「チャレンジド」の精神が大事だと思います。

毎度毎度書くようですが、私はこのテのドラマやドキュメントがホントに苦手でして、あまり積極的には観ないんですね。小説やエッセイ、ルポルタージュの類は好きなんです。ナマの声が聞こえてくる気がするから。だけどメディアを通すとたちまち健常者のエゴ的満足度が感じられて萎えてしまう。ましてやドキュメンタリなんか、ナレーションやテロップなんかも作り手によるモノが多いから、ご本人方が本当にそう思っているかどうかは疑わしいし、視聴率確保を狙ったテレビ局側の作為的なモノを感じたりもする。純粋な“声”が聞こえてこないというか。音楽効果、過去と現在とを行き来する視覚的トラップなんかを用いて必ず感動するように作られているワケだから、「あー絶対に泣いてしまう」と思いながら観たら案の定絶対に泣く。でもこの涙はナニなん?

可哀想と思うの?ガンバレと思うからなの?でも所詮自分じゃないじゃん。ヒトゴトだから泣けるワケじゃん。だからってナニもしてあげられるワケではない。結局、自分はそうじゃないから涙を拭いて「さ、カオ洗って寝よ」とサバサバした気分で次の作業に移ったり出来るワケで、その行為や姿も何処か偽善でゾッとしてしまう。それにテレビに出るというコトは局からそれなりの報奨を受けているというコトにもなるだろうから、その取引を思うとまた萎えるの。受け手に対してではなく、与える側=メディアやマスコミに対して萎えるというイミですよ。全てがそうとは言えないし、憶測の域を脱せないけど、メディアが「チャレンジド」を利用している…とでも言おうか。

でも、「知る」というコトは素晴らしいと思うんですよ。

世の中にはこんなに大変な思いをして頑張って生きているヒトもいるんだ、自分は恵まれているな、精一杯生きなきゃな、と思うならそれもまたヨシ。ヒトツのきっかけとして現実を知らしめるのは慈善だし、大切。そういう意味ではやっぱりメディアを通すのがイチバン手っ取り早いのか。

前置きが長くなりましたが、上記理由で観る前からイヤイヤモード満載だったこのドラマ、蔵様がどんな風に全盲の役を演じるのかのみに興味を絞り、意識を集中させつつ、頑張って観ました。ところどころツラくて、「ちょっとー、もうヒドイんじゃないの!?」「そんな冷たいヒトばっかいるかよ~!」などと文句を言っていたものの、そこまで観づらくはなかったかな。

結論から言うと、無意味な同情目線ではなく、簡潔明快なカンジで、思った以上に爽やかな印象で良かったです。全国に「チャレンジド」教師がいるという事実を発信するコトで、同じ境遇のヒトに勇気やパワーを与えられたのではないかしら。また、無知からなる好奇な目を好意の目に変えるという点でも有意義だったのでは?

まあ、曲がりなりにも教職に就くヒト達があんなに偏見目線でイイのか?という根本的疑問は拭えないまでも、今の教育現場を象徴している気がしてよりリアル感がありましたね。一切助けてあげないアタリとか、なかなかブラックなカンジで良かった。現代っ子独特の乾きを持つ村川さん演じる教師なんかホントにいそうだもん。だけど、もし目の前に「チャレンジド」がいたとして、ただ黙っていられたらコチラとしては困っているかどうかなんてなかなか察せないだろうし、意図を汲み取って助けてあげるには至難の業だわね、確かに。その点、「助けて下さい」と言えた塙センセは大正解、互いに理解し合うにはまず、“コミュニケーションを取る為の第一歩”が大事なんだと実感する瞬間でした。踏み出すのは勇気が要るけど、踏み出した後は簡単な気がする。

一方、中学生の生徒達は悪ぶっていてもドライぶっていてもやっぱりまだまだ子供、子供は心がピュアです。きっかけがあればパアッと心を晴れやかにさせていく、このスピードが速い。子供の頃にどれだけ多くのコトを感じていられるか…、葛藤して、ぶつかり合って、胸を痛めて、感動して、助け合って、心のアンテナをいかに張り巡らせていられるかが大事なんだなあとつくづく思う。感じるコトは非常にめんどくさいんだけど、そこから逃げてちゃいけないんだな。

塙センセはきっと、心を動かすコトの大切さを子供たちに伝える役目も担っているんでしょうね。

今回の蔵様の役ドコロはいわゆる“熱血系”になるのかな、蔵様が演じるキャラクターの種類でいくと苦手なジャンルではあるんだけど、塙センセの熱いカンジは結構好きでした。

私は“役者・佐々木蔵之介”が大好きであるからして、ドラマなり映画なり舞台なり何でもイイ、とにかく演じている蔵様を見るのが大好きであって、蔵様がカッコイイかどうかは二の次、キスシーンがあろうがベッドシーンがあろうが殺されようが殺そうが坊主になろうがヒゲを生やそうがどうでもいい、プライベートにおいても恋人がいようが結婚しようが好きにしてくれ、とにかく役としてイケているか否かが、蔵様を応援する上で非常に大きなウェートを占めているワケです。←また前置き。

尚且つ、佐々木蔵之介という役者さんは、“耐える、或いは苦悩する姿=静”が最も似合うヒトだと私は思っていて、次が“行き切った姿=特異・異質”であり、そして“達観した姿=悟り”も嵌まるんだけれど、逆に“頑張る姿=動”だと役によっては張り切りぶりが目にイタイというか、どうも似合わない気がするというか、時折アイタタ感を醸し出す恐れもあるのは否めないと思っていて(「ギラギラ」がその最たる例)、今回、予告を観る限りではどうかな~と懸念していたんですが、塙センセの元気で一生懸命なカンジはとても清々しく好印象でした。
その要因は、このドラマの明るく単純な作風にあるのかな~と。ヘンに同情心を煽る作り方ではなく、あくまで「チャレンジド」のチャレンジする姿勢、そこから見出す可能性を私たちに伝えようとしているのかな、だから観終わった後に、ミョーに「良かった良かった」みたいな単純な感想を抱いてほっこりしまうのかしらと感じたり。
でも、まだ塙センセのヒトとなりが100%分かったワケではないし、主役の描き方としては物足りなさも感じたので、次回に期待…といったトコロですかね。何れにせよ、なかなか可愛らしい、キュートな先生像とは言えましょう。

それにしても富田さんの役が凄くイイね!旦那さんへの愛を感じる。あの奥様がいなければ塙センセはなかなか立ち直れなかったんじゃないでしょうか。“内助の功、ココにあり”といったカンジで、とてもステキな奥様だな~と思いました。
佐々木蔵之介 | TB:× | CM : 2
スケール感より違和感。HOME独身が似合うオトコ。

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